昭和52年11月15日 朝の御理解
御理解 第52節
「信心する者は驚いてはならぬ。これから後、どのような大きな事ができてきても、少しも驚くことはならぬぞ。」
「驚くことはならんぞ」とありますけれども、驚かずにはおれないと言う様な事がやっぱりございますね。生身を持っておりますし、信心が浅はかですから、もう本当に足がガタガタ震うような事がございます。私もこれで半年間は召集を受けて、現地で召集を受けて、半年間兵隊生活をしましたが、その中に二回だけは、もう今日はこれは駄目かもしれんなと、これは皆全滅するぞと、けれども、私だけは助かるなあと言った様なものが何かこう沸いてくるんですね。私だけが助かる。
それでもやっぱり足はもうガタガタガタガタ、もうそれこそ震い通しでした。もう終戦も愈々間近な時分ですからね、あの沿線の私共は駅を守備しておりました所から一駅離れた奥の方の駅の守備に出ておりましたら、まあ八路軍ですよね相手は、がそこに出没するというので、そこを守備に参った訳です。本当の兵隊というのは僅かばかりで、まあ現地召集のもうおじさん連中が、人が多いかったんですけれどももう真の闇です。
もう傍におっても分からないように、私は小型の迫撃砲を後ろにこう担いで持って行く。私はあんなもの扱った事も使った事もないから使用道も分からないのです。それがあの、夜中にその色々攻撃を受けてから、こちらから擲弾筒を射つと言うので、ところが、擲弾筒がこう構えてある。それを後からこう入れてやらなきゃならないんだそうです。ところが、私共では素人だから出来んから、本当の兵隊という若い兵隊さんが代わってくれまして、そして私がそのすぐ後におりましたがね、擲弾筒をですね。
その入れたらしいけれど、反対に入れたらしいんですよ、その時に私の後から大串という上等兵さんがおったのが、「大坪危ない」と言って、後からパーっと私のこのバンドを引っ張ってくれたのと、その擲弾筒がそこで炸裂したのが一緒でした。ほらまあ大変な一人は、その真暗ですから分からないです。準尉の方が打ってましたが、その人はこの、ここにあった腕がもうないんです。こう触ったらもう腕がないとです。外套と一緒にそして、もうとにかく悲壮な声を出して、「もう駄目だからもう自分を殺してくれ」と言うわけなんです。
それからもう皆その言うけども逃げ散らかしてからおらん。真暗ですからどこか分からんとですよ。それでそこに二、三人居るもん、私共だけでその準尉をそれこそ傷は浅いですよと、分かりゃせんのに、「もう殺してくれ、殺してくれ」て言うてから、移り変りおんぶして、その鉄道線路まで出らせて頂いた。そしたところが、敵が、擲弾筒が、バアーッと炸裂したもんですから、あっあそこに日本兵がおると分かったからもう、集中して射ってくるわけです。
もうそれこそもう、本当に「金光様金光様」でしたが、足はガタガタ震えてですね、そしてその自分達の守備しておる駅に引き上げて行くでも、駅の方でも、はあ何かがあったなと分かったから、迎えに来ていた。駅ずたい線路ずたいに、あのうそれであのう、「山、川」の合い言葉をちゃんと決めて、そしてようやく集まった兵隊十人余りでその駅まで引き上げていった事がありますが、もう本当に生きた思いはしませんでしたけれども、やはりそれでもね。
あのうなんか今日は皆んなやられるぞ、て言った様な感じがするんですよ。それでそれでも自分だけは助かるな、自分だけはおかげを頂くと言った様なものが、下からこう突き上げるように沸いてくるんです、思うんじゃないんです。まあ今から考えてみると、おかげ頂いておったと思うんですね。おかげでまあ無事に、明くる日そこへ行きましたところが、その私がしなければならないのをやってくれた、その人は即死でしたからああもすうも言ってない。
もうそれこそ、身体がどこにいっておるか分からんように、散りじりになっておりましたがね。そういうような中に、おかげ、一遍はやっぱり鉄道線路を貨車で下りましたら、両方が高い所から、両方鉄道を遮断してですね、高い所から両方から射ってくるわけなんです。ですからもう、それでもやっぱりおかげで、その時もちょっと怪我人が出たぐらいで、私共難なしにそこを突破する事が出来たと。
たった半年の間でしたけれども、そして私が思いますのに、私が召集を受けて行くその前の晩に皆友達がよってくれて、ちょっとした宴を開いてくれました。それでもう「最期になるかわからんけ、三味線弾け」と言って、三味線を私が握って引くとと、その三味線の糸が切れたのが一緒でした。だからなんかこうそれから私は戦斗帽を三回なくしたんです。けどもこういう後から考えてみると、本当に神様のこういう事になる所を、おかげ頂いておったな、助かっておったなというふうにまあ思うのですけれども。
私が子供の時から、所謂生まれて六十日ぶりに、あの火の海の中にあって大火傷をしたと言う事から、また私が五才の時に疫痢ですかね。もう医者が「難しい」御届けをさして頂いても、神様親先生にお知らせを下さったのも、もうソテツが真っ黒になって枯れて行く所を頂かれて、もう難しか、言われるほどしでしたけれども、そこを助けて頂いておるんです。何回となしに言うなら、ない命を助けて頂いておる。
だから「本当に無い命を助けて頂いた」と言うて、「もうこの御恩は決して忘れません」と言うだけの信心であったら、値打ちは無いと思うですよね。私は昨日、宮崎の細田さんから電話が掛かってまいりまして、奥さんから、それが丁度フィリピンのマニラに行っておられるのです二三日前から、それに丁度皆さんもテレビでご覧になったでしょうけれども、マニラで一番大きなホテルが全焼致しましてね、沢山の人が焼け死んで、まだそれがあのうどれだけでるやら分からん。
昨夜私が丁度テレビ引っ張った時に、その現場が焼けておるところでした。そしてその時に、四十五名の死体が黒焦げになって誰だか分からんという状態でしたが、朝電話が掛かってきたのが、その細田さんから、宮崎から電話が掛かってきて、実はそのホテルに泊まっておることになっとったんだそうです。だから発表され名前が出ておるから、自分はおかげを頂いて日本人二人、何かで字は詳しくは分かりませんけども、泊まられん事になって、別のホテルに泊まっておった。
もう考えて見ると、本当にあの、身がズンズンするようなお話なんです。それが「自分の名前がもし新聞紙上に出ても、自分はこんな訳で無事におるから」という電話が掛かって、「すぐ合楽にお礼の電話を掛けてくれ」と言うので、お礼の電話が掛かってまいりました。本当にまあ細田さんの上に起きておる神様の大変ないろんな働きというものが、あっておるという事と同時にです。そういう例えば本当にビックリするような、驚かずにおれないような時ほどにです。
私共が愈々分からなければならない事は、本当にあの時は九死に一生を得たとか、あん時あちらのホテルに寄っとったら焼け死んどったかもしれんとかと言う所をです。おかげを頂いたというだけでは、しかし値打ちが無いです。私が何回も何回もそういう、まあ死線を越えたというか、そのない命を助けて頂いたと言った様な、そこにです。いわば御神意をさとらせてもらう。これは私でなからなければならないような、御用があるからこそ、神様はこの命を長らえさして下さったんだ。という。
何をだからさして頂くでも、なら細田さんのように、これからまだ大きな事業をなさるためには、いろんな山がありましょう。苦しい事もありましょうけれども、それをです。自分がああいう時に、ああいう助かり方をさして頂いたという事は、神様が本当に御用に使うて下さろうとする働きがあるからこそ助けて下さったんだ。だから私のやる事は、必ず成就するんだ。成功するんだ。
という信念も持ててくるし、またへこたれんで済むような働きになってきて初めて、そういう大難を、例えば無難、大難を小難でお祭り替えを頂くようなおかげを頂いた。その後の頂き方がです。そういう事になってこないとだめです。浮羽郡からもう永年参ってくる高校の先生ですけれども、この人なんかがもう全滅をした時に、自分は田んぼの中にこう死んだふりしとって、自分一人助かった言う先生が、ずうっと参って見えます。そして毎年、助かった日だけはお礼に見えるんです。
がそれだけでは大した事じゃないでしょうが。これはあん時助けて頂いたのは、もう本当に神様のおかげであった。一生御恩は忘れません。というだけでは大した事はないです。ああいう時に助けて頂いて、この世に生き延び行き延ばして頂いておるという事は、何か自分でなければ出来ん様な御用がある。自分がさせて貰わなければならない御用があるに違いが無いと奮い立つ心を、頂いてこそ。
初めて私はそこの、九死に一生を得た言った様な、おかげを頂いての、言うならば、本当の値打ちという事になってくると思うです。ただおかげを頂いたと。私昨日その、細田さんの御取次をさして頂いて、また大きな事業に取り組んで、まあ大変な難儀なところへ入っていかれるかもしれんけども、そういう時でもです。自分があの時に、本当に自分が泊まるようにしておった通りに、泊まって居ったら、もう自分はこの世に無いのかもしれなかった。
神様が大きな御用でもさして下さろうという、思いが働きがこういう危機一髪の助かりを得たんだというふうに、まあ頂かれるようになったら、事業を続けていく事の上にも、どういう艱難があっても、それを乗り切れれる、いわゆる信念を持って乗り切れれる、おかげが受けられる。それであって私はそれこそ「驚いてはならん」と仰るが、やはり信心が薄い時にはね、それこそ足がガタガタ震えるようにビックリするような所も通りますけれども、そのおかげで、その後の私の生き方というものがです。
いよいよ神様の御用に使うて下さろうとする働きがあったからこそ、何回も何回も無い命を助けて頂いたんだという所に、助けて頂いた言うならば値打ちというか、次の働きに、言うなら確信をもってそこを突き進んでいく事が出来るという、おかげが受けられるのです。同時にだから、本当に驚かなければならないような事が起きた時ほど、愈々神様を信ずる、本当に有難いおかげの頂けれる、一つの前提だというふうに分かっておくと、どんな事が起ってきても、驚かんで済むほどしのおかげを頂けば尚更の事。
よし足がガタガタ震えるような事であってもです。そこを助けて頂くおかげを頂いて、次のまた艱難も、艱難ではない。苦労も苦労ではない。そこをね所謂神様がおかげを下さらん筈はないという確信を持って、そこを通り抜けて行けれるおかげを受けれると思うです。もう本当にたまたま、そのホテルにその日に到着して、そしてそのホテルに泊まる約束までしておる者が、ある二人の日本人の人達が話し合いか何かで、その出て他のホテルに泊まっておる。
考えてみると、そういう確信を与えて下さろうとする前提として、神様の御演出、ただ昨日奥さんが言っておられましたが、「親先生が、フィリピン行きをお届けさして頂いたら、万事にお届けします。身体の事もお願いしますよう」と言われたが、もう本当に身体にこの様なおかげを頂いたという事が付け加えてございました。ですから本当に、神様の、普段、平生の時に行っておるよりも、そういう時に行き合わせたという、神様のやはりおかげを下さろうとする演出としか思われませんですね。
どうぞ。